国会では、毎年たくさんの法案が議論され、法律となります。
その内容は、私たちの生活に直結するものも少なくありません。言い換えれば、より良い政治=私たち国民の幸せな生活であるべきなのです。2007年の参院選後、衆参の緊張関係が国会の風景を変えました。「国民の声が届く」政治へと歩き出したように思います。私は反対のための反対はしません。
むしろ反対なら具体的な政策で押し返す、つまり議論を尽くす政治へと変えたい。
例えば年金給付だけに使う年金制度改革や安心して子どもを生み育てることができる手当て拡充法案などに象徴される、国民の生活に軸足をおいた政治へ変えたいと思っています。
政権交代のため。
民主主義がきちんと機能するためには、政党が互いに政策競争をし、よりよい方を有権者が選択するということが大事です。とはいえ、民主党はまだ若い政党です。多くの人が民主党に対して感じている不安や未熟な点、問題点も、中にいる一人として痛感しています。正直に言いましょう。
私自身、民主党から立候補することが本当によいのか、悩んだ時期もありました。しかし、最終的には、二大政党確立の必要性を確信し、皆さまの信頼を得る政党に民主党を変えていこうと思うに至りました。
民主党に政権をまかせても大丈夫か? 全く問題ありません。
なぜなら、民主党にはすばらしい人材が集まっているからです。コツコツと政策を練りあげ、議員立法に取り組む政治家本来の仕事人たちで溢れています。
民主党の一員として国政を任せて欲しいという私の決意は、今までもこれからも変わりません。お一人おひとりの声を集め、心を束ねて、国民のための政治を目指したいと思っています。

政治家になって国のために働きたいと志したのは、中学3年生の頃。
あれから22年。平成17年の郵政解散によって、私にチャンスがめぐってきました。当時、私は民主党の国会議員公募に合格しており、なんとしてでも次の衆院選に出馬したいと願っていました。
地盤・看板・カバンも一切なし。あるのは「国のために働きたい」という熱い志だけ。落下傘であろうが、なかろうが、私を必要としていただける場所に行く覚悟でした。日本中どこであっても国会議員となれば、国のために働くことができる、という一念でした。
田川・行橋などの福岡11区ではだれも民主党の衆議院議員候補者がいませんでした。私が福岡県生まれというご縁で、選挙区内をくまなく回った後、この地から立候補しようという決意を固めました。
わずか3週間しかありませんでしたが、私にとって2度とないチャンスだと思い、ただひたすら選挙区内を自転車で走り廻り、お一人おひとりに声を掛け、握手をして頂く毎日、あっという間に投票日がきてしまいました。
それから一年後、平成19年2月、福岡県知事選挙の候補者選びの議論がおこりました。党としてやはり候補者をたてるべきだと私は考えておりました。
党の責任を果たすことになるのであれば私がたちます。そのひと言で始まった知事選挙、短期間ではありましたが、選挙に臨むにあたって私は、県内66市町村をくまなく廻ることから始めました。地域ごとにたくさんの声を聞かせて頂きました。
このふたつの選挙を通して私が今も思いを強くしていることは、政治はやはり人々の幸せのためにあるのだ、ということです。どこに住んでいても、仕事がある。安心して子どもを生み育てられる。いつまでも夢や生きがいをもって住み続けられる。そうした国民の幸せを政治がしっかり支えていかなくてはいけないということでした。